山行No.226 | 剣岳(2) 頂上から黒部峡谷水平歩道 | 1980/7/26〜7/29 |
頂上から劔澤小屋→剣沢雪渓→二股吊橋→仙人池ヒュッテ→阿曽原→水平歩道→欅平→宇奈月温泉まで。 |
〔富山県中新川郡立山町、黒部市など〕
本峰往復の日だけまずまずの天気。雪渓下りも水平歩道も小雨に降られ、
ベストコンディションではありません。緊張の連続で欅平の宿にたどり着きました。
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「地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図 25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第558号)」 |
09:20 いよいよ山頂出発下山です。 早くも混雑が始まっています。 |
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一服剣と剣山荘も、遥かに下のほう。 あわてない、あわてない・・・ |
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順番待ちの間は、源次郎尾根のクライマーの見物。左上方、岩尾根に二人。 | |
“カニの横ばい”もかなり難しい ですね。 慎重に、慎重に・・・ |
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“横ばい”から左手下を見れば、 “縦ばい”の順番待ちの人たち。 |
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“カニの横ばい”を終えて 振り返る。 みんな、おっかなびっくり態勢。 |
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左手、“カニの縦ばい”を見れば、いよいよラッシュアワー。 | |
すごい順番待ちですねぇ。 | |
あとで聞けば、 1時間も待った人もいたらしい。 小屋を早く出発していてよかった。 |
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なんと!! 小さな子供二人を連れた若夫婦、 ここまでどうやって来たの? 一応ロープで繋がってはいるけど、 “縦ばい”はどうするつもり? 考えただけでも 肝が潰れそう。 |
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岩の上にイワヒバリ、 登山者を見物しているよう にも見える。 「ご苦労なことで・・・」などと。 |
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7/26 13:05 劔澤小屋に帰着。黒板には「落下、骨折」など事故やルートの情報。 | |
○千葉県からの単独行の女の子(25日同室)。小屋泊まりの自炊、荷物15kgと大きい。 毎年あちこちと出かける、今年は連れが来れなくて。26日本峰登り、「カニの縦ばいで40分 待たされました」と。 ○26日同室の母子。夜行寝台で入山の鳥取県の人。男の子は高校生くらい。非常に 仲がいい。尾瀬その他、経験多いよう。今年は表銀座にするか迷ったそう。27日本峰に 向かわれた。悪天だったが・・経験の割には足元、運動靴に近いものだった。 |
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○午後9時ごろ、九州のK大学生かつぎ込まれる。雨の中、医師に付き添われてかなり 疲労の模様。大の男を背負って大変だろう。本人もぐったりと苦しそう。食事全般、急遽 小屋が面倒見たもよう。 〔上記(紫色)部分に、事実と異なる点がありました。関係者の方から、以下のような 指摘・事実の報告をいただきました〕 「事故遭難者はK大山岳部員ではなく、長次郎雪渓熊の岩附近で滑落負傷した他大学 山岳部1年生部員です。K大学山岳部が事故者を目撃し、山岳警備隊に連絡の上、 同警備隊の要請で警備隊と一緒にK大山岳部が救助に当たったものです。熊の岩から スノーボートで長次郎雪渓をおろし、剣沢雪渓を引き上げ、最後は背負って剱沢小屋に 収容したものです。」 ○29日の「富山新聞」によれば、このパーティー、28日午前8時ごろ、六峰のBフェース で岩登り中、ハーケンが抜けて転落、一人死亡、一人重傷。バーティー全体の調子が悪 くなっていたのだと思われる。 〔上記事故原因についても、下記のような指摘をいただきました。〕 「7/26の遭難救助の翌27日は前夜の疲れを取るため終日沈殿日とし、休養に当てまし た。28日の事故の直接原因は疲れではなく、ピレーポイントを安易にハイマツにとって いたことから、セカンドの転落をトップが止めることができず、セルフピレーポイントの ハイマツも抜け、二名の転落となったものです。ハーケンを打っておれば防げていたか もしれない結果に悔やんでも悔やみきれない結果ですが、慎重さに欠ける行動の結果 として、事故を真摯に受け止め、再発防止に取り組みました。」 〔以上、当初の誤った記述につきまして、関係者その他の皆様にご迷惑をおかけしまし たこと、心からお詫び申し上げます。2007/8/29記〕 |
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7/27 07:13 出発、剣沢雪渓を下って、仙人池ヒュッテを目指します。 | |
雨が降っても、雨具は上半身だけ で、ズボンの方ははかないように、 と星野さんから注意を受ける。 滑落したら、止まらないそうだ。 |
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相変わらず、空模様は あやしい。 |
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長次郎谷へ入って行くクライマーたち。 | |
剣沢雪渓は、 なかなか長大です。 |
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一部は、アイスバーン、 軽アイゼンをつけます。 |
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滑落は禁物、 慎重に・・ |
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スノーブリッジの下も、 しっかり確かめて通過。 |
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足が開けば 手も開く。 |
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08:50 真砂沢小屋とテント場が 見えてきました。 また、雨です。 |
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この岩を まわり込まなければなりません。 剣沢南股の流れがゴーゴーと、 いやなところです。 |
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10:20 二股に来ました。 | |
吊り橋が、 壊れているじゃないですか。 ロープに足をやって、 綱渡りとは・・・ 10:45 まで25分間、 登山者がやって来るのを 待って、しっかり見学、勉強。 |
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いよいよ行くほかありません。真ん中の部分が難しいところ。 | |
27日朝、劔澤小屋「大窓」の部屋の女の子二人、仙人池 まで連れて行ってください、と頼んで来たが、我々が10時 くらいまで天候見ています、とゆっくりしていたので7時頃 二人で出発したもよう。仙人新道の尾根の上で踏み跡に 惑わされ「どっちですかぁ?」と不安がっている二人に会う。 |
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仙人新道を登って 仙人峠に出ると、 見えました仙人池ヒュッテ。 しかし遠くで雷です。 お花畑見物どころでは ありません。 |
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12:57 仙人池ヒュッテ到着。 昨日、劔澤小屋で別れた M.Nさんが待っていてくれた。 熱いお茶のおいしいこと。 生き返った気分。 |
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夕刻、 雨はあがりました。 仙人池に裏剣が 映ります。 |
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○ヒュッテの肝っ玉おばちゃん志鷹さん、何事もスカッと大らか。 「今日は女のほうが少ないから先にしてやった」と、家内と、もう 一人の女性客、M.Nさんの4人で一番湯。「何日もおられたら 捜索隊が来たりして困るけど、10日おっても何にも来ん人もお るけど」と、長逗留の青年を冷やかす。 ○冷やかされた青年、足を怪我して長居。「昨日はどちらから?」 と訊けば、「昨日はあそこまで、今日はここまで」と庭先を指差す。 聞けば徳島、池田の人らしい。四国で一番良かったのは三嶺とか。 |
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翌28日早朝、左から八ツ峰上半と八ツ峰の頭、チンネ、ジャンダルム。 | |
朝日にまぶしい三ノ窓雪渓上部とチンネ、ジャンダルム、右小窓の王など。 | |
○27日同室(五峰の間)の若夫婦、「あー、面白かったァ」と奥さん。 風呂で熱くなるとバケツから大急ぎで水を入れる方式が楽しいらしい。 楽天夫婦、きのう仙人湯から、28日剣沢へ向け出発。 ○いつまでも騒ぐ10人組か。中に一人、調子の高い女性がいて、のべ つしゃべりっ放し、はしゃぎっぱなし。素泊まり自炊で、ものが口に入 っているときだけ少し静か。天気予報をみんなが心配して聞いている ときも騒ぎっ放し、仲間の年配の人たちにたしなめられる。消灯後も 1時間くらい騒ぐ。山に来て楽しいのは分かるが、自分たちだけでは ないことを自覚して、口にチャックの用意くらいはして来るべきだ。つい にどこかの部屋から「いつまでしゃべっているんですか! いいかげん に寝なさい!」と声が飛ぶ。翌朝もまたピーチクしゃべりまくっていた。 200人近くの劔澤小屋でも、毎晩シーンとして静かだったのに、この 女性一人のために、しばらくイメージダウン。 |
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仙人谷を下り、阿曽原を経て黒部渓谷沿いの水平歩道を通り、欅平までの行程。 | |
志鷹のおばちゃんと M.Nさんに見送られ 06:46ヒュッテ出発。 仙人谷雪渓。融雪時は スノーブリッジ崩落の危険地帯、 この厚さなら大丈夫だろう。 |
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08:17 仙人湯小屋前の 露天温泉。 指だけ入れて 入ったつもり・・・。 ビールも冷えてます。 |
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天然記念物の 仙人の岩屋の案内あり、 先を急ぎます。 |
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○11:08〜11:53阿曽原小屋で簡単な昼食。福島県の青年 二人と一緒に。5時、真砂沢ヒュッテを発って6時間で阿曽 原まで。すごく早いですね、と言えば「我ながら、よく飛ばし たと思います」(標準は8時間)。安達太良山や磐梯山の話。 昨日、雨の中、剣本峰をやったら、槍ヶ岳北鎌尾根を勧め られたので来年は、と言っている。今日の仙人峠からの下 り、登ってくる人に阿曽原まで何時間くらいか尋ねたら、ど の人も(1時間たって会った人も)みな「2時間くらいでしょう」 と変わらないのでうんざりした。今日宇奈月泊。長い水平歩 道に、こうしちゃいられないと。福島まで遠いですね、と言っ て見たが計算すれば、我々愛媛のほうがはるかに遠かった。 |
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12:25 いよいよ水平歩道の始まり、始まり・・・ | |
危ないところの連続。 はるか向こうに 水平歩道は続いています。 |
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こういう感じ・・・でいつまでも。 緊張、緊張。 誰にも会わないので、 “離合”はありません。 |
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工事用の資材を運ぶために作ったとはいえ、あきれるほどに長い。 | |
やばいですよ、やばいですよ このあたり。 |
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対岸は奥鐘山(おくかねやま)の 絶壁。ちょっと見物。 荷物は13kg。 家内は7.5kg。 それほど重いほうではない。 |
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泡雪崩が 鉄筋コンクリートの作業小屋ごと 100人以上の作業員を 対岸まで吹き飛ばしたという 志合谷の雪渓。 不気味なほどに 壮絶な眺め。 |
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その雪渓の下は、 トンネルで通過。 真っ暗な上に 曲がっていて 水浸しで・・ |
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水平歩道を 4時間半。 緊張の連続で くたくただぁ・・ |
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17:43 やっと猿飛山荘(水辺の建物) に到着。 |
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山荘の湯舟からは、 すぐ目の前に黒部峡谷の 流れが見え、ご機嫌。 夕食時ビールを飲んだら、 動くのも嫌になるほどの 疲れよう。 |
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○猿飛山荘隣室の大阪Y区役所登山部の5人。水平歩道を後 から来ているのは2人かと思ったら一番最後のメンバーと1時間 も開いていたらしい。欅平に着いてから、イライラ・ウロウロ、落 ちたのではないかと不安そうだった。我々が剣本峰の日、立山 三山を縦走していて、本峰は断念とのこと。今日は池の平山荘 から。山頂で広げる予定だった登山部の大きな旗、食堂でパッ と広げて「ここで記念撮影だあー」。29日、大阪駅でも出会った。 |
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29日、 黒部峡谷鉄道の欅平駅で 記念撮影。 かなりきつい行程だった。 |
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観光客と一緒に、 トロッコ列車で帰ります。 |
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その高度感に観光客は 騒いでいますが 我々は慣れっこで何とも 感じず。 この慣れが危険なんですが・・・ はるか下方に 吊り橋が見えます。 |
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宇奈月温泉が 近づいて来ました。 ここでの休養などなし。 この夜、大阪弁天埠頭から 20:30発の関西汽船乗船です。 |
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富山駅で 「富山新聞」を読む。 『剣岳で二人死傷』と 出ている。 |
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○剣岳の歴史については、佐伯文蔵『剣岳の大将 文蔵ー立山と剣に生きた六十年ー』実業之日本社1974に詳しい。