うなめ越再考・奥善神山(うなめごさいこう・おくぜんじやま) 
愛媛県東温市/久万高原町 〔皿ケ嶺連峰県立自然公園〕   2007/5/3 (木、祝) 晴
「うなめ越」(うなめご)に、お地蔵さんが確かにあったのか、確認に行きました。
ついでに、奥善神山山頂へ井内峠から行って見ました。「うなめご」とは、を考えます。

尾根の登山道から見た井内。直線距離約2km。 (15倍望遠)

井内峠(1088m)の手前
好天、気温18度。 三葉躑躅がまだ咲いていました。 ヤマガラ(山雀)さんがお出迎え。


ありました。
うなめ越(1130m)の
お地蔵さん。
しかし、首無しです。

高さ80cmくらい、馬か
牛で運んだのでしょう。


その真北側、昔の
峠道が新たに草刈り
してあります。

1967年11月19日に
この下部で迷った道です。

そのお話はこちらから

お地蔵さんの台座。判読が、難しいです。
苔を落として、しっかり記録したいところなれど・・・。

奥善神山山頂に向かいます。

ヒガラ(日雀)さんお出迎え。


やって来ました、山頂です。
新しい標識が建っています。
「昔の名前で出ていません」
「いろんな名前で出ています」
峯本典寛『愛媛ゆうゆう山歩き』
(愛媛新聞社2002)の
「善神ケ森」の項には、
[地図上には山名はないが、
頂上のそばに「奥善神山」との
標識がある。ただ『川内町誌』
には、三角点を「うなめご」と
呼び、善神山は1253mの支尾根
にあるとの記載がある。その
ため、今回は善神ケ森に統一
した。北川淳一郎著の
『四国アルプス』(東雲書店刊行)
には、前司ケ森と紹介され
ている。] とある。

これが「善神ケ森」標識の元か。


現在「善神ケ森」3票、
「うなめご」1票。
いせきこたろう『道後平野から
望む山の楽しみ方30章』
(アトラス出版2005)の
「奥善神山」の項には

[この奥善神山、他にも「遅越
山」「うなめご」などの名を持つ。
これらの名前の由来は非常に
興味深い。まず「奥善神山」と
いう名前。これは徳川後期に
仏教擁護の十六善神を祀った
「善神山」山塊の最奥側に聳える
ことにある。僕の曖昧な記憶では、
前善神山・奥善神山という二段構
えになっているはずだ。]などと、
考察がある。
小生は、『川内町誌』に
[「三角点を「うなめご」と呼ぶ]
との記載は見つけられなかった。

『続川内町誌』に、
[地図には山名が出ていないが
村の人はこれを「うなめご」
と呼んでいる](p.330)
と出ている。

標識は、いずれ朽ち果てるが、
書物や人々の記憶は
永く残るもの。

← 東方約2kmにある
「猴口山(さるくちやま)」
またの名、「梅ケ谷山」
(ばいがたにやま)
の電波反射板。

山頂の木の上にあった
鳥の古巣 →
西方約3kmの皿ケ嶺1270.5m 尾根の分岐に仲良く?二つ並んで立つ、新旧の道標。
南方、上畑野川あたり さらに遠く、四国カルスト ブナの古木もあるが、元気なし。


ウグイス(鶯)がやって来て
しきりに囀(さえず)ります。

ホトトギスは、まだのようです。

←檜の辛苦の姿多し。


このほかの野鳥たち。
ツツドリ、ヤブサメ、アオゲラ、
シジュウカラ、ヤマガラ、イカル、
ヒガラ、エナガ、オオルリ、
ゴジュウカラ、など
いずれもよく囀っていました。
またまた、鳥の古巣です。 いたるところ点々と長葉立壷菫(ナガバノタチツボスミレ)。 尾根から井内。


お地蔵さんの首も探して
あげたいのだが、
おそれ多い気もするし・・
藪は繁っているし・・。

←  左の地図では、
「うなめ越」の位置は
はっきりしています。
井内峠と奥善神山の中間。

『大辞典』(平凡社 1935年)

田の畦の側を通っていたのか、
川瀬村から、いい種牛を求めて、
牝牛が越えて行った峠ででも
あるのか・・。
↓ 直線距離約2.5km、井内の成のあたりから見れば、「奥善神山」も「うなめ越」も同じようなものでしょう。
「天城越」「六部堂越」「銅山越」
「手箱越」「一の谷越」すべて
峠の名前です。

「俺はずっとここに座って
いるのだが、芸能人でも
あるまいし、ころころ呼び名が
変わるというのもね。はやりの
平仮名なんかじゃ意味が
全然分からなくなるぜ・・・」

と山は言ってるようでも
ありますが・・・。

山歩きをする者に
とっても、峠も山頂も同じと
いうわけには参りませぬ。
「どこの山へ?」
「奥善神山です」
「それ、どこの山で?」
「いや、奥善神山、またの名、
うなめご、あるいは、
善神ケ森、と申します」
数年前まで、笹が生い茂ってとても通れたものではなくなっていた尾根の登山道。今では
四国一と言っていいほどの快適な尾根道です。これもひとえに「さくら山行会」の皆さんのお陰です。
すっかり埋もれてしまいそうだった山も、人がよく訪れるようになったために、かえって名前も混乱、
というのも皮肉なことでは、ありますまいか。「うなめ越」の旧道を、また検分に行きたくなりました。

この日(憲法記念日)、出会った人は、
「奥善神山の向こうまで行って来ました」というカップル、
「六部堂から白猪滝口までです」という男性、
「上林峠まで行って来ました」との男性、以上の4名でした。
「梅ヶ谷山か、猴口山か」2006/11/8へ
1967年、道に迷って帰宅が22時過ぎとなった山行の話は→「うなめ越考」2007/11/21へ
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