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久万と言えば直瀬、直瀬といえば房代野 −2013年3月17日− |
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2013/03/17(日) 13:40〜15:20 曇〔愛媛県上浮穴郡久万高原町直瀬〕 |
「軽トラ市」見物のあと、久万高原町直瀬を訪ねました。 |
下直瀬から入ります |
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↑ 上直瀬入り口 下組のあたり 平地が広がります |
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木造校舎の 直瀬小学校に来ました |
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校訓は「努力ありて 希望あり」 読めますか? 以前ははっきりしてたと思ったが 経年変化でこうなったのか、まさか最初からこんな状態 ではないはず。児童たちのいたずら書き見たいになって・・・ |
玄関前の「大望の像」 印象的な作品と思う |
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すぐ近く 「五社神社」 |
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本堂内に 古い古い額が健在 |
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銅板張りの屋根を 磨き直している ところだった。 まっさらの 光りよう |
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参道から 西を見る 菜の花畑、花盛り |
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永子(えいし)まで上がって来た。「竜ヶ岡」767.4mと、手前「さんぽうざん」 | ||
お寺と墓地 | ||
さらに上部へ。房代野(ぼうだいの)へ到着。 | ||
房代野集会所は 「雲上庵」と名付けてある 雲海がすごいのだろう 標高は760mほど |
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お寺も墓地もよく見える。 お寺の名前は 忘れた |
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北方の尾根に 猴口山(さるくちやま) 1315.8mが望める。 頂上の電波反射板 |
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膨らみ始めたボケの 蕾の向こうに 長曽我部金十郎さんが建てた 「長曽我部一族の墓」 |
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近所の奥さんに話を聞いた。 「土佐から逃れてきた一族のうち、元気な者はさらに逃れて行ったが、 ここで命絶えたものを昔から祀っていると伝えられとります」とのこと。 |
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天正十三年乙酉年没」とある | 古いものはこのような | |
近くには立派な屋敷。 直瀬に最初に 人が住み着いたのが この房代野だった のだそうだ |
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畑も しっかり 管理されている |
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長曽我部一族の墓は 道路三叉路の 角にある |
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天気晴朗でなくて、眺望今ひとつ。このあと30分で雨となった。 | ||
「直瀬の晩夏―田んぼが色づき始めました―」2009/8/30 は→ こちら 「房代野残雪」2005/1/29 は→ こちら 「秋麗、房代野」2003/9/27 は→ こちら |