No.6     チャンバラごっこ、戦争ごっこ    2005/4/30  


 子供の頃は、チャンバラごっことか、戦争ごっこのようなものを、よくやった。
 チャンバラに使う刀は、主に木の枝である。真っ直ぐなものよりも、僅かに反っているほうがよかった。
 ある人の話。
 チャンバラ用の刀を作るとき、木の枝がすんなり伸びて柔らかく、その辺によくあるものを使った。
 みんなで互いに切り合いをした。ところがその翌朝、全員の顔はパンパンに腫れあがっていた。とても学校へ行けるようなものじゃなかった。
 あとで、その木が「ウルシ」(ハゼノキ)だと分かった。
 首の辺りから顔や頭など、「エーィッ、ヤーッ」と丁寧に切りまくったのだそうだ。
 さぞ盛大なかぶれようだったろうと想像する。
 
 ウルシは、中国ヒマラヤ原産らしい。かなり古い時代に渡来したといわれる。ウルシオールとかヒドロウルシオールなどの毒成分が、皮膚に水泡性炎症を起こす。
 その木の下を通っただけでかぶれるという過敏症の人もいれば、触っても何の症状も出ない人もいる。

 山の中へ仲間たちと遊びに行けば、林の中などに「陣地」というものを作った。材料には折り取りやすいヒサカキの枝などを使う。
 その陣地も、特別に防御とか要塞のような機能を持っているはずもなく、隠れ家のような、多分に気分的な要素が強かった。それだけ当時の子供たちは想像力によって満足するという才能に長けていたのであろう。
 敵味方に分かれて激しいチャンバラになって、転んだり滑り落ちたり乱暴に動き回っても、林床は落ち葉が堆積している上に、コシダ類に覆われているような斜面なので、たいした怪我などはしなかった。せいぜい擦り傷程度である。
 それに、互いに怪我をさせない、しない、という手加減の程度というものを体得していた。

    
刀によさそうな枝の伸びるウルシ 大抵の里山がヒサカキやコシダの林床である

 同級生の一人は、子供の頃の怪我が元で左眼を失明していた。
 大人になってから彼は、こう言った。
 「俺は喧嘩するとき、絶対に自分ではやらなんだ。子分を集めて、かならずそれらにやらした」
 その理由は、もう一方の眼の視力を失うようなことがあったら、それこそ大変だったからという。もっともである。
 彼に、そのような用心深い「戦略」があったとは、考えても見なかった。
 彼のような特別の事情ではなく、ただ子分を引き連れて悪さばかりをさせる「卑怯なガキ大将」はどこにもいたものである。
 「ありゃーまぁ、あんな悪い奴はおらなんだわい・・・」などと、同窓会などで話題になる連中が、意外と実業家などになって社会に貢献している例もあるのだから、どんな「才能」が生きてくるか分からない。

 お金や財産が増え、肩書とか権力の幾らかが備わって来ると、誰しもそれを「守る」ことに腐心しなければならなくなるようである。
 どうやって守るか。まず思いつくのは「守る人間」を雇うことであろう。
 いわば、「働きアリ」を「兵隊アリ」にすることである。「兵隊」がいなければ、おちおち安心して過ごせない気分になるらしい。
 財産も地位もない、ごく一般的な「働きアリ」にとっては、そのような意識はまず生まれてこない。ただ「兵隊アリ」にされる危険には常に付き纏われていることになる。これは人生における最大の心配事である。

 モノもなく、食べるだけでやっと、互いに助け合わなければ生きて行けないような時代、戸締まりをしなくてもほとんど何の事件も起こらなかった。
 ところがモノは余り、贅沢三昧これ以上何が要るの、という時代では、とてもじゃないが安心して日々暮らせない、というのは何という皮肉なことであろうか。

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