ネパールヒマラヤ
アンナプルナ・ミニトレッキング(その1)
【2000年12月29日〜2001年1月7日】
(その2)へ | 名古屋からネパールまでについては「ヒマラヤ山脈横断チャーター便の旅」 |
(その3)へ | 第1回訪問は1999年「ネパールのジョムソン地区を歩きました(その1)」 |
←「ネパール好き」のメニューへ
ミニ・トレッキングは12月31日からテント泊3回の延べ4日間。ヒマラヤ、アンナプルナT峰(8091m)の南麓歩きです。
一行31名、シェルパやポーターを加えると70名ほどになりました。何よりも楽しかったのは、
現地の人たちと、子どもたちを含めて、毎日接触できたことです。
【パノラマ写真以外は、すべて標準50mmレンズで撮影】
アンナプルナ 南峰7219m オーストリアン キャンプから |
|
マチャプチャレ 6993m オーストリアン キャンプから |
|
ランドルン 近くの農家と 段々畑 |
|
トルカからの アンナプルナ 南峰。その奥 がT峰8091m |
|
ランドルンから 見た対岸 ガンドルンの 段々畑 |
|
畑の道で見た 青い花。ヒマラ ヤの青いケシ に似ている 色。青いケシ は→こちら |
|
シャウレバザ ール近くの畑 (日本の田舎 に似ている。 また、どこか 違う部分も) |
|
トレッキングコ ースの地図 アンナプルナ 山群の南側に あたる。カーレ から歩き始め →ランドルン →シャウレバ ザール→ビレ タンティ→ナ ヤプールと歩く。 アンナプルナ 南峰とマチャプ チャレは、2001 年1月1日の朝 の風景です。 21世紀の第1日 を、ヒマラヤを仰 いで迎えようとい う「贅沢」でした。 |
トレッキング始まる (2000/12/31〜)
12月31日と1月1日
(以下の画像は、ブラウザによる拡大のみ)
登山口のカーレへの途中、バスを降りて ポカラにあるチベット寺院に立ち寄りまし た。 チベット難民たちが建てた寺院の中に 学校があります。 その前で元気に遊んでいる子供たち。 |
|
お兄さんに背負われて・・・いい気持。 | |
教室を覗いてみると丁度、休み時間。 「ティーチャーをやってくれ」と英語で 頼まれる。 黒板に、日本語とローマ字で名前を 書き、日本からやって来た、としゃべる。 彼らは、英語とチベット語を勉強していた。 |
|
寺院の入り口で、 「五体投地」で 参拝しているお婆さんがいた。 |
|
誰かが遠慮なく、教えて欲しいと頼む。 丁寧に教えてくださる。 |
|
カーレというバス停から歩き始める。 かつての日本のような風景。 お母さんたちが、ゆったりとした風情で、 子供を抱いている。 「子を抱きしネパリーの母に山眠る」 |
|
山から薪(たきぎ)を集めて帰ってくる女の子。 ドッコという籠には、赤い花(ワタの花)が 指してある。 「枯野行くドッコにも花挿してあり」 特別の場合を除き、写真を撮らせてもらう 時は、 「写真を撮ってもいいですか?」 (フォト・キチ・パニ・フンチャ?)と 「あなたの名前は?」 (タパインコ・ナーム・ケ・ホ?) 「わたしの名前はタケシです」 (メロ・ナーム・タケシ・ホ) 「ありがとう」 (ダンニャバード)を、 現地語で言って、許可を得てから 撮らせてもらった。 |
|
M.W.さん。 お母さんの名前を聞いたら、赤ちゃんの方 N.W.ちゃんの名前も教えてくれた。 「母の名を問えば子の名も山の春」 |
|
少し雨がパラついて来たので 山のほうから駆け下りてきたSちゃん ヒマラヤの麓の杣道時雨れたり |
|
農家の前庭。 ドッコ(荷を入れて背負う籠) に似ているが、ニワトリを 入れるもののようである。 |
|
三姉妹。 真ん中の子がD.ちゃん。 |
|
ポーターたちは先に行ってもらって、 シェルパらは、一緒に歩きながら、 太鼓を叩いてよく歌い踊る。 一行も、先のことが気になりながら、 つい浮かれることになる。 よく歌われるのは、「レッサン・ピリリ」と いう恋の歌。 |
|
歌い踊るサーダー(シェルパ頭)のナワン・シェルパ 31日の22時頃まで、オーストリアン・キャンプ(2,200m)で、キャンプファイヤー の周りでシェルパたちと一緒に、明朝の行程を気にしながら踊る。 さすがによく冷える。羽毛服でもじっとしていると寒い。 |
|
2001年1月1日、日の出を待つ、 マチャプチャレ(魚の尾という意味、 山頂の形から)6993m (オーストリアン・キャンプにて) |
|
同じく日の出前のアンナプルナ・ソース(南峰) 7219m |
|
ポカラの寺院で、お婆さんから教わった 「五体投地」で礼拝してみる。 神主を職としている方がいて、 さすがその人が率先して行う。 「オム・メニ・ペメ・フム」。 |
|
テントは、19張か。 そのほかにトイレ棟など。 2人に1張で、荷室などもある 日本の北アルプスなどでは考えられない ような、ゆったりとしたスペース。 朝になると、テントの前に、シェルパが、 洗面用のお湯とモーニングティーを持ってきて くれる。 贅沢な山歩きである。 「初手水テントの前にシェルパ来て」 |
|
オーストリアン・キャンプに朝日が昇り、ご機嫌で一枚。ただこの朝、不運な夫婦1組、 昨夜からのひどい下痢と腹痛で急遽リタイアすることに。カトマンドゥからヘリを呼び、 1時間のフライトで病院へ。(あとで聞けば40万円、ただし旅行保険から賄えた由)。 |
|
近くの農家の庭先。 このニワトリ、我々が歩き始めた直後、 ヒナがタカに襲われた。 幸いさらわれはしなかったようだ。 |
|
タルチョーという宗教上の飾り。ネパール各地で 見られる。旅の安全を祈るもの。向こうの山は、 左からアンナプルナW峰7525mと同U峰7937m。 峠のタルチョーの傍でシェルパたちが祈るという 「ハーゲアロー、ケケソソ、ハゲアロー、ソーソ ソーッ」(神よ、勝利したまえ)は、憶えやすい。 私の頭の現状のとおり、 「禿げ野郎、毛毛疎疎、禿げ野郎、疎ー疎疎ーっ」 なのだ。 「初東風やタルチョーの色鮮やかに」 |
|
ラムジュンヒマール6983mなど。 「初空やラムジュンヒマール凛々と」 |
|
歩き始めて1時間ほど、 ポタナのロッジの女の子、 犬を抱いて出てくる。 「子犬抱きし少女しめやか初日影」 |
|
お母さんと一緒に現れた小さな子。 立派で暖かそうな帽子を冠っている。 「小さき子の丸き帽子に初日さし」 |
|
売店に寄って、足りなくなった フィルムなどを買う人。 |
|
休憩をしたビチョック・ダウラリで、 アンナプルナ・ソースとシェルパ二人。 「雪山とシェルパ並びて初日かな」 |
|
ビチョック・ダウラリのロッジの お母さん、Gさん。 全体に経済的に貧しいネパールで、 トレッキング・ルート沿いにあるロッジの 人たちの生活は豊かである。 |
|
ロッジの息子、P.G.君。 ナイキの帽子など、衣類も 我々のものより立派だ。 ただし、鉛筆とかノートなどには 恵まれないようで、手にしている用紙も 同行の女性が手帖の1枚を 割いてあげたもの。 非常に喜んでいた。 「ペンを持つプラベス君の筆初め」 |
|
ルート沿いには見なれない植物も多い。 青紫の実を付けている。 1月1日という真冬ではあるが、標高2000mちょっと では、日中はそれほど寒くない。 このあたりの緯度が、北緯28度ほど、 我が国の奄美諸島の北端、喜界島と 同じくらいであるため。 |
(その2)へ | 名古屋からネパールまでについては「ヒマラヤ山脈横断チャーター便の旅」 |
(その3)へ | 第1回訪問は1999年「ネパールのジョムソン地区を歩きました(その1)」 |